エレミヤ 28:1 その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の五月に、主の神殿において、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、祭司とすべての民の前でわたしに言った。
28:2 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。
28:3 二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。
28:4 また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、わたしがバビロンの王の軛を打ち砕くからである。」

詩篇 89:2 主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。わたしの口は代々に あなたのまことを告げ知らせます。
89:3 わたしは申します。「天にはとこしえに慈しみが備えられ あなたのまことがそこに立てられますように。」
89:4 「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び わたしの僕ダビデに誓った
89:5 あなたの子孫をとこしえに立て あなたの王座を代々に備える、と。」

89:16 いかに幸いなことでしょう 勝利の叫びを知る民は。主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます。
89:17 絶えず、御名によって喜び躍り 恵みの御業にあずかって奮い立ちます。
89:18 あなたは彼らの力の輝きです。御旨によって、我らの角を高く上げてください。
89:19 主は我らの盾 イスラエルの聖なる方は我らの王。

ルカ 17:1 イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。
17:2 そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。
17:3 あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。
17:4 一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」

預言者エレミヤは、バビロンの脅威に対し、抵抗するのではなく、バビロンに屈服し、仕えるように預言していた。
しかし、全能の神が味方なら、バビロンに屈する必要はないと説く者も多く、神が必ず守り、バビロンに対しても勝利することができるかのように説く偽りの預言者もいた。
本日の日課に記されている預言者ハナンヤも、バビロンの脅威を取り除くことはできないかもしれないが、必ず神が助けてくれるはずだから、2年ほど待てば、バビロンの脅威も打ちのめされるであろうと、全く根拠のない展望を述べている。
もちろんそれは、同胞イスラエルの民の恐れを少しでも和らげ、励まそうとする意図があったのかもしれないが、それより、民にとって都合の良いことを語ってくれる預言者の方が喜ばれることを知っていたため、受けの良い言葉を語っては、自分の立場を利することしか考えていなかったからなのであろう。
結果的には、そのような甘い見通しや偽りの預言にこだわることによって、悲劇的な結末を招いていくことになるのである。
預言者エレミヤは、そんな偽りの預言を語るハナンヤに対し、2年ほどでバビロンから解放されるのなら、できることならそうなって欲しいとは思うが、実際にはそうならないことを明確に述べている。

エレミヤ 28:15 更に、預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。
28:16 それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ。」
28:17 預言者ハナンヤは、その年の七月に死んだ。

おおよそハナンヤは、純粋にイスラエルの民を励まそうとして偽りを語ったのではなく、自分の保身のことを考えて偽りの預言を語っていたのであろう。

私たちも、聖書の御言葉に聞いていく時、自己保身のために、自己都合を優先していくようなやり方を続けているならば、真実は損なわれていくし、そこには誠実な信仰は養われない。
人間の罪の現実は、そう生易しいものではなく、簡単になんとかなるようなものではない。
だからこそ、神の子キリストの命が捧げられなければならなかったのである。
これほど重大で深刻な罪を、神は自らの命を犠牲にしてまで、赦そうとしてくださった。
その大いなる恵みを忘れることなく、聖書の御言葉の前に、真摯に向き合っていきたいものである。

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