箴言 4:10 わが子よ、聞け、わたしの言うことを受け入れよ。そうすれば、命の年月は増す。
4:11 わたしはあなたに知恵の道を教え まっすぐな道にあなたを導いた。
4:12 歩いても、あなたの足取りはたじろがず 走っても、つまずくことはないであろう。
4:13 諭しをとらえて放してはならない。それを守れ、それはあなたの命だ。
4:14 神に逆らう者の道を歩くな。悪事をはたらく者の道を進むな。
4:15 それを避けよ、その道を通るな。そこからそれて、通り過ぎよ。
4:16 彼らは悪事をはたらかずには床に就かず 他人をつまずかせなければ熟睡できない。
4:17 背信のパンを食べ、不法の酒を飲む。
4:18 神に従う人の道は輝き出る光 進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。
4:19 神に逆らう者の道は闇に閉ざされ 何につまずいても、知ることはない。
4:20 わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしの言うことに耳を向けよ。
4:21 見失うことなく、心に納めて守れ。
4:22 それらに到達する者にとって、それは命となり 全身を健康にする。
4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。
4:24 曲がった言葉をあなたの口から退け ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ。
4:25 目をまっすぐ前に注げ。あなたに対しているものに まなざしを正しく向けよ。
4:26 どう足を進めるかをよく計るなら あなたの道は常に確かなものとなろう。
4:27 右にも左にも偏ってはならない。悪から足を避けよ。

詩篇 105:1 主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。
105:2 主に向かって歌い、ほめ歌をうたい 驚くべき御業をことごとく歌え。
105:3 聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人よ、心に喜びを抱き
105:4 主を、主の御力を尋ね求め 常に御顔を求めよ。
105:5 主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を 主の口から出る裁きを心に留めよ。
105:6 主の僕アブラハムの子孫よ ヤコブの子ら、主に選ばれた人々よ。
105:7 主はわたしたちの神 主の裁きは全地に及ぶ。
105:8 主はとこしえに契約を御心に留められる 千代に及ぼすように命じられた御言葉を
105:9 アブラハムと結ばれた契約 イサクに対する誓いを。
105:10 主はそれをヤコブに対する掟とし イスラエルへのとこしえの契約として立て
105:11 宣言された 「わたしはあなたにカナンの地を 嗣業として継がせよう」と。

105:37 主は金銀を持たせて民を導き出された。どの部族にも、落伍する者はひとりもなかった。
105:38 エジプトは恐怖に襲われていたから 彼らが出て行くのを喜んだ。
105:39 主は雲を広げて覆いとし 火をもって夜を照らされた。
105:40 民が求めると、主はうずらをもたらし 天のパンをもって彼らを満足させられた。
105:41 主が岩を開かれると、水がほとばしり 大河となって、乾いた地を流れた。
105:42 主は聖なる御言葉を御心に留め 僕アブラハムを御心に留められた。
105:43 主は、御自分の民を喜びのうちに 選ばれた民を歓呼のうちに導き出された。
105:44 主は彼らに諸国の土地を授け 多くの民の労苦の実りを継がせられた。
105:45 それゆえ彼らは主の掟を守り 主の教えに従わなければならない。ハレルヤ。

ルカ 6:12 そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。
6:13 朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。
6:14 それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、
6:15 マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、
6:16 ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。
6:17 イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、
6:18 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。
6:19 群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。

ルカ福音書6章の箇所には、イエス様が弟子たちの中から十二人の使徒たちを選んだことが記されている。
しかし、その理由も、目的も、ほとんど何も語られていない。
ただ十二人を選んで、使徒と名付けたと記されているだけである。
彼らに何か特別の才能や資質があったわけでもなく、むしろ、聖書の他の箇所を見ると、誰が一番偉いかと言い争ったり、恐怖におびえ、自分の身に危機が迫っていると感じたときには、イエス様を見捨てて逃げ去っていったような人たちである。
どちらかと言えば、私たちと同じ普通の人間である。
けれども、イエス様は、そんな人たちを使徒として召し、彼らと共に神の国を宣べ伝える働きを進めて行ったのである。
使徒たちにとって大切なことは、イエス様の教えを聞き、従い、共に歩むことであり、それゆえに彼らは命ある者として神の前に生きたのである。
そして、彼らは、そのような生き方ができる人だったから使徒にされたのではなく、使徒とされたから、そう生きたのである。

この世には、多くの人が生きている。
しかし、それが本当に「生きている」と言えるのは、神の御言葉に聞き、従い、神と共に歩んでいる人においてであり、どんなに楽しく快適に生きているようでも、その心が神から離れ、御言葉とは関係のない歩みを続けているならば、それは滅んでいるに等しい。

ヨハネ6:63 命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。

人が本当の意味で「生きている」と言えるような、そんな幸いな人生を今日も選んでいけるように、聖書の御言葉に聞き、従い、神の御前に神と共に歩んで行きたいものである。

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