列王記下 2:13 エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、彼はそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、
2:14 落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言った。エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。
2:15 エリコの預言者の仲間たちは目の前で彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言い、彼を迎えに行って、その前で地にひれ伏した。

詩篇 93:1 主こそ王。威厳を衣とし 力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
93:2 御座はいにしえより固く据えられ あなたはとこしえの昔からいます。
93:3 主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。
93:4 大水のとどろく声よりも力強く 海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。
93:5 主よ、あなたの定めは確かであり あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り。

ヨハネ 8:21 そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」
8:22 ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、
8:23 イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
8:24 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
8:25 彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。
8:26 あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」
8:27 彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
8:28 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
8:29 わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
8:30 これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。

我が家には四人の子供たちがいる。
上から、大学4年生の長男、大学2年生の双子の二男と三男、そして、高校2年生の四男の四人の男の子である。
大学生が3人と高校生が1人と、家計的にも大変であるが、そのせいで、教会には多大な負担を強いることになっていることを心苦しく思っている。
それは、今に始まったことではなく、ずっと前からそう思っている。
家族が多いというだけで、後ろめたい気持ちになるなんて、本当はあってはいけないことであろう。
この世に、生まれてきたことを喜ばれない命など、ただの一人として、あってはならない。
そんな思いもあって、四番目に生まれた子に「わたしはある」という名前を付けた。
「わたしはある」という神様にちなみ、有我と名付けた。
全然、神様らしい威厳はないけれど、おとなしく、落ち着いた子に育っている。
「わたしはある」と仰せられる方が、いつも彼らと共にいて下さったし、彼らもまた「わたしはある」と仰せられる神が自分たちと共にいて下さることを知っていた。
そうやって人は生きていくのだろう。
生きて行くことができるのだろう。
親として、いつまで一緒にいられるか分からないが、いつかは彼らもまた、独り立ちし、誰かの親となって行くのだろう。
その時には、彼らの子らにもまた「わたしはある」と仰せられるお方が、いつも共にいて、君たちを愛してくださっているよ、ということを伝えて行って欲しいものである。
「わたしはある」と仰せられるお方は、命をかけてあなたを愛し、いつでもあなたと共にいて下さるお方である。

Write a comment:

Your email address will not be published.