ヨブ 13:13 黙ってくれ、わたしに話させてくれ。どんなことがふりかかって来てもよい。
13:14 たとえこの身を自分の歯にかけ 魂を自分の手に置くことになってもよい。
13:15 そうだ、神はわたしを殺されるかもしれない。だが、ただ待ってはいられない。わたしの道を神の前に申し立てよう。
13:16 このわたしをこそ 神は救ってくださるべきではないか。神を無視する者なら 御前に出るはずはないではないか。
13:17 よく聞いてくれ、わたしの言葉を。わたしの言い分に耳を傾けてくれ。
13:18 見よ、わたしは訴えを述べる。わたしは知っている、わたしが正しいのだ。
13:19 わたしのために争ってくれる者があれば もはや、わたしは黙って死んでもよい。
詩篇 31:10 主よ、憐れんでください わたしは苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも 苦悩のゆえに衰えていきます。
31:11 命は嘆きのうちに 年月は呻きのうちに尽きていきます。罪のゆえに力はうせ 骨は衰えていきます。
31:12 わたしの敵は皆、わたしを嘲り 隣人も、激しく嘲ります。親しい人々はわたしを見て恐れを抱き 外で会えば避けて通ります。
31:13 人の心はわたしを死者のように葬り去り 壊れた器と見なします。
31:14 ひそかな声が周囲に聞こえ 脅かすものが取り囲んでいます。人々がわたしに対して陰謀をめぐらし 命を奪おうとたくらんでいます。
31:15 主よ、わたしはなお、あなたに信頼し 「あなたこそわたしの神」と申します。
31:16 わたしにふさわしいときに、御手をもって 追い迫る者、敵の手から助け出してください。
31:17 あなたの僕に御顔の光を注ぎ 慈しみ深く、わたしをお救いください。
フィリピ 1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
1:22 けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。
1:23 この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。
1:24 だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。
1:25 こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。
1:26 そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることになります。
1:27 ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、
1:28 どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。
1:29 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。
1:30 あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。
私たちは、苦しい時、神に助けを求めて祈る。
その時、「自分は正しい」との前提のもとに祈っている。
そして、自分を苦しめるものはみな悪であり、敵とみなしている。
果たして本当にそうなのだろうか。
自分にとって都合の悪いものはみな悪であり、敵であるとする、その根拠は、いったいどこにあるのだろう。
パウロは、自分が死ぬことすら利益であると語っている。
というより、生きていること自体が罪にまみれたものであることを知っているからこその言葉なのかもしれない。
しかし、生きてなお福音を宣べ伝えることがゆるされるなら、それもまた益であると考えている。
観点は、自分にとってどうであるかということよりも、他者にとってどうなのか、あるいは、神の目にどうなのか、といったことが大事であるということを教えようとしているのであろう。
そう考えるからこそ、パウロは自らの困難な状況さえも「利益」とみなしていられるのかもしれない。
たとえ生き恥をさらすような人生であったとしても、その人生が用いられることで、誰か一人でもキリストに出会い、救われるのならば、一人の魂を獲得することになるという観点で、私の人生もまた益となりうる。
ヤコブ4:13 よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、
4:14 あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。
4:15 むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。
さて、今日も「主の御心を求めつつ」生き永らえて何をしようか。