マタイ 9:14 そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。
9:15 イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。
9:16 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。
9:17 新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」
刻一刻と時代は移り変わりつつある。
昨年までは普通であったことが、今年はそうではないといったことも見受けられる。
特に今年の冬は異様なほどに温かい。
ラジオのニュースで、ひばりが鳴いたところもあると伝えていた。
ひばりと言えば、春を告げる鳥であろう。
大寒だというのに、もう春が訪れようとしている。
温暖化も取りざたされているが、気候の変動だけでなく、社会情勢や国と国との関係、そして、人々の心も少しずつ変わりつつある。
新しい時代の到来というのは「今日から令和です」と言ったようなものではなく、少しずつ変わっていき、気が付いた時には、前と随分違うといった感じなのかもしれない。
古い皮袋も古いぶどう酒も、最初から古かったわけではない。
新しかったはずのものが、いつのまにか古くなっていくのである。
人間の価値観や考え方も、時代と共に古く、そして固くなっていく。
いつまでも新しいままでいられることは難しい。
けれど、常に主の御言葉の前に心砕かれ、愛と恵みの言葉の前に立ち続けるならば、少しは心の柔らかでいられるのかもしれない。
2コリント
5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。
5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
5:16 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。
5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。