ヨハネ 21:20 ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。
21:21 ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
21:22 イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」
21:23 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。
21:24 これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。
21:25 イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

人はとかく他人と自分を比較しがちである。
他人より自分がどうであるとか、自分より他人のほうがどうであるとか、比べたところで何も変わらないのにも関わらず、である。
もちろん、他人と比較することで、自分らしいところはどういう所かといった事を見つけることはあるだろう。
自分らしさとは何か、とにかく自分にできることをやってみるだけである。
できないことは幾ら背伸びしたところで、てもはしきない。
そして、周りの目を気にし過ぎるのも良くない。
自分は自分、他人は他人、神様は何等かの意図をもってそれぞれの個性を創られただろうし、その個性を生かし、託された場所で託された務めを担っていくだけである。
きっとそれを続けていれば、世界でただ一人のオリジナルの証となるのだろう。
命の書に、自分の人生の全ても記されている事を信じつつ。

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