マタイ 9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人であるように、イエス様を必要としているのは正しい人ではなく罪人であると語られている。
正しい人は、自分の正しさゆえに神の前に義とされていると考えがちであるからであろう。
しかし、どれほどの人が本当にそう思っていることだろう。
自分は罪人だと言いながら、自分の意見や考えを振りかざし、他人を批判したり、裁いたりしていはしないだろうか。
先日の礼拝説教では「罪人の最たる者」(罪人のかしら)であると思うなら、軽々しく他人を批判したり裁いたりすることなどできるはずはないということを話したが、別に最たる者(かしら)でなくても、自分は罪人だという意識があるなら、他者への批判など「どの口が言うのか」ということになるのだろう。
まずは自分自身、どんな者であるのか、罪人に過ぎない者であることを悟り、なおかつ、そのような罪人を救って下さるお方がいるということを覚え、「私にこそイエス様が必要だ」ということを真実に口にすることができるよう歩んで行きたいものである。

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