ルカ 4:14 イエスは”霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
4:15 イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
4:16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
4:17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げるためである。」

イエス様は霊の力にみちておられたゆえに、その語る全ての言葉に人々は魅了されたであろう。
語る主体が神であられたために、言葉一つ一つによこしまな様子など何一つなかったからであろう。

人の心を惹く人の言葉は、おおよそ、邪心がないため聞きやすい。
そして、何度も聞いてみたいと思う。
一方、何等かの思惑が絡んでいたり、己の主張を押し通そうとする人の言葉は、聞いているうちに、その心が見えてくる。
邪心に満ちた人の言葉は、いくら隠そうとしても、ありありと見えてしまうもの。

イエス様は、想いが先にあって、その想いが言葉となって現れ、私たちに向けられている。
その想いが見えた時、私たちは幸いを得るのである。

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