ルカ 3:7 そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
3:8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
3:9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」
3:10 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
3:11 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
3:12 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。
3:13 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
3:14 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

人が生きていくためには、ある程度のモノや富も必要であり、欲も全く無いというわけにはいかない。
働いて稼ぎ、食べて遊ぶ。
それ自体はそれほど悪いことではない。
悔い改めるべきは、他人をだますような仕方で自分にだけ利益をもたらそうとするような行動であろう。
他人をだますような仕方で手に入れた利益は、正当なものではないし、仮にそういう仕方で多くの富を手に入れても「悪銭身につかず」の言葉の通り、そのような人の人生は空しいだけである。

あいだみつおさんの言葉で「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」というものがある。

ヤコブ 1:14 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。
1:15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。

欲は恐ろしい罪である。
自分も他人も見えなくなり、滅びへと進んで行く。
そうならないための悔い改めが必要である。

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