雅歌 3:1 夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても 求めても、見つかりません。
3:2 起き出して町をめぐり 通りや広場をめぐって 恋い慕う人を求めよう。求めても、あの人は見つかりません。
3:3 わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
3:4 彼らに別れるとすぐに 恋い慕う人が見つかりました。つかまえました、もう離しません。母の家に わたしを産んだ母の部屋にお連れします。
3:5 エルサレムのおとめたちよ 野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください 愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。
3:6 荒れ野から上って来るおとめは誰か。煙の柱が近づいて来るかのよう。それは隊商のもたらすさまざまな香料 ミルラや乳香をたく煙。
3:7 見よ、ソロモンの輿を。輿をになう六十人の勇士、イスラエルの精鋭。
3:8 すべて、剣に秀でた戦士。夜襲に備えて、腰に剣。
3:9 -10ソロモン王は天蓋を造らせた。レバノン杉を柱とし、銀の台座に金の玉座 エルサレムのおとめたちが愛をこめて 紫の布を張りめぐらした。
3:11 いでよ、シオンのおとめたちよ ソロモン王を仰ぎ見よ。その冠を見よ 王の婚礼の日に、喜びの日に 母君がいただかせた冠を。
5節以降のソロモン王の輿の記述から、いよいよ結婚の日を迎えたことが伺える。
そうすると、4節までの箇所は、その直前か、前夜あたりの気持ちが高ぶって眠れないような状態であることが想像できる。
夜に起きだして町を巡るという記述も、夢か妄想、あるいは、想い巡らしているだけのことかもしれない。
人は嬉しいことや楽しみにしている事が近づくと、気持ちが高ぶり、興奮状態となり、平常心を失ってしまうこともある。
もちろん、嬉しいことや楽しいことだけでもなく、極度の緊張が続いたり、恐れや不安がピークに達する時も同様に落ち着きを失ってしまう。
それもまた人間らしいと言えばそうなのだが、そのような時の言動は、あとで静かに振り返ってみると、気恥ずかしいものであろう。
気持ちが高ぶっていても、平常心を保つためには、自分に酔いしれないこと。
着飾った自分を他人にみせることだけに心を奪われていれば、きっと自分を見失うことになるだろう。
冷静に行動するためには、注目すべきところを見誤らないようにしたい。