エフェソ 6:21 わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。
6:22 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。
6:23 平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。
6:24 恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。
聖書の時代の人々は、今とは比べ物にならないくらい、時間も手間もかかり、その分、のんびり、ゆったり過ごしていたことであろう。
現代人は何でもすぐに結果や返事を知りたがる。
その分、待つということができない。
神のなさることも、1秒たりとも待てない人が多い。
御心なら、なにも慌てることなどないのに、それが待てず、自分で何でも答を探し求めてしまう。
まるでデパートのおもちゃ売り場で駄々をこねているまがままな幼子のようである。
神の恵みは、変わらぬ愛をもって全ての人と共にあることを覚え、忍耐して待つことも大切にしたいものである。