ルカ 23:50 さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、
23:51 同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。
23:52 この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、
23:53 遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。
23:54 その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。
23:55 イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、
23:56 家に帰って、香料と香油を準備した。
23:56 婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。
イエス様の遺体は、ヨセフという議員の手によって丁重にほうむられ、イエス様を慕っていた女性たちもその様子をしっかりと見届けている。
イエス様が確かに息を引き取られたことを確認したということであろう。
その後、安息日に入ったということもあって、彼らも休んだと記されている。
おそらく、どっと疲れや喪失感などに襲われて、何かをする気も起らなかったのかもしれない。
深い悲しみや戸惑い、怒りや憎しみも混ざっていたかもしれない。
休むということは、そういった様々な感情を整理するためにも大切なひと時であろう。
週に一度、安息の日が設けられているのも、そういった気持ちのまま、引きずらないようにするためかもしれない。
安息の日には、心も体も休めて、ゆっくり過ごしたいものである。