ルカ 22:39 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。
22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔
22:43 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕
22:45 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。
22:46 イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」

イエス様もよく祈られた。
神ご自身であられるお方が、である。
祈りは単なる神へのお願いではない。
むしろ、神と共にあり、神の御心にすがる行為と言っても良いだろう。
そして、イエス様も苦しまれた。
血を流すほどに苦しまれ、祈られた。
このイエス様の姿は、我々にとってもお手本であり、苦しみの中を生きる唯一の手段が、祈りによって神と共に歩む、ということであろう。
できることならば、苦しい中から解放されたいと願うものではあるが、神が共にいて下さるから、そこを過ぎ越していくこともできるのだろう。
もうまもなく、過ぎ越しの祭りの季節となる。
あらゆる災いを過ぎ越すために、イエス様ご自身が我々の代わりに十字架で苦しんで下さった出来事を思いつつ、このイエス様と共に歩んでいきたいものである。

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