ルカ 22:14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。
22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」
22:17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。
22:18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。
22:21 しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。
22:22 人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」
22:23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。

今週日曜日の聖書日課は、いわゆる「放蕩息子のたとえ」として知られているルカ15章11節以下の箇所が与えられていて、放蕩の限りを尽くして帰ってきた息子を大きな喜びで迎え、盛大にお祝いするといったことが語られていた。
その際、父親が子牛を屠ってお祝いをしているが、私たちの救いのために捧げられたいけにえの犠牲は、イエス様ご自身の血と体、すなわち、イエス様ご自身の命そのものである。
イエス様がご自分の命をほふり、私たちの救いのために、天において祝宴を設けて下さる、それが、この過ぎ越しの祭りの本当の意味なのであろう。
畏れ多いことであるけれども、この祝宴にあずかることを主が望まれているのだから、私たちも大いに喜び、感謝して臨みたいものである。

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