申命記 32:45 モーセは全イスラエルにこれらの言葉をすべて語り終えてから、
32:46 こう言った。「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。
32:47 それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。」
32:48 その同じ日に、主はモーセに仰せになった。
32:49 「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。
32:50 あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。
32:51 あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたしの聖なることを示さなかったからである。
32:52 あなたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」
モーセは、主から託された言葉を、子供たちに語り聞かせ、忠実に守らせるよう勧めている。
信仰を継承していくことは、好ましいことであるが、難しい面もある。
大切なことは、その言葉が「命」である、と語られているように、御言葉によって生きているかどうかが問われてくるのだろう。
子供たちは親の生きざまをよく見ているし、言葉と行動に矛盾があれば、彼らは混乱をするだろう。
「子どもは親の言うう通りにはしないが、親のする通りにする」という言葉を聞いたことがあるが、まさにその通りなのかもしれない。
子は親の生きざまを写す鏡と言えるかもしれない。
遠回りのように見えるかもしれないが、まずは親が御言葉に忠実に生きること。
この一事に励んでいくことが大切である。