申命記 11:13 もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、
11:14 わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。
11:15 わたしはまた、あなたの家畜のために野に草を生えさせる。あなたは食べて満足する。
11:16 あなたたちは、心変わりして主を離れ、他の神々に仕えそれにひれ伏さぬよう、注意しなさい。
11:17 さもないと、主の怒りがあなたたちに向かって燃え上がり、天を閉ざされるであろう。雨は降らず、大地は実りをもたらさず、あなたたちは主が与えられる良い土地から直ちに滅び去る。
11:18 あなたたちはこれらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付け、
11:19 子供たちにもそれを教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせ、
11:20 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
11:21 こうして、主が先祖に与えると誓われた土地にあって、あなたたちとあなたたちの子孫の日数は天が地を覆う日数と同様、いつまでも続くであろう。
11:22 もし、わたしがあなたたちに行うようにと命じるこのすべての戒めをよく守り、あなたたちの神、主を愛してそのすべての道に従って歩み、主につき従うならば、
11:23 主はあなたたちの前からこれらの国々をすべて追い払われ、あなたたちは自分よりも大きく強い国々を追い払うことができる。
11:24 あなたたちが足の裏で踏み込む所は、すべて、あなたたちのものとなり、荒れ野からレバノン山まで、ユーフラテス川から西の海まであなたたちの領地となる。
11:25 あなたたちに立ち向かいうる者は一人もいない。あなたたちが言われたように足を踏み入れる土地の至るところに、あなたたちの神、主は、あなたたちに対する脅威とおののきを起こされる。
11:26 見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。
11:27 あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、
11:28 もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。
11:29 あなたが入って得ようとしている土地に、あなたの神、主が導き入れられるとき、ゲリジム山に祝福を、エバル山に呪いを置きなさい。
11:30 この二つの山は、ヨルダン川の西のアラバに住むカナン人の領内を貫く街道の、更に西方にあって、ギルガルの前方、モレの樫の木の近くにある。
11:31 あなたたちはヨルダン川を渡って、あなたたちの神、主が与えられる土地に入って、それを得ようとしているが、それを得て、そこに住むときには、
11:32 今日、わたしがあなたたちに授けるすべての掟と法を忠実に守らねばならない。

ここには、主なる神様が与えられた戒めの言葉を守るならば、祝福された生活を送ることができる、という風に語られている。
しかし、その意味は、ただ戒めを守ることが大切なのではなく、そもそも、エジプトの奴隷から解放して下さった神を信じて生きることにあり、常にその神と共に生きることが中心にある。
御言葉をそらんじ、家の戸口や門にも書き記すということは、生活の隅々に至るまで、そこで神を覚えよ、ということなのだろう。
ただ命じられたことを機械的に守ればいいというだけならば、奴隷の民となんら変わりない。
そうではなく、我々を愛し、命がけで救って下さった神は、この局面で、我々がどう生きるようになることを望んでおられるのかということに思いを巡らし、愛の神様ならば、きっとこするだろうというところに従って生きて行こうとする、それがこれらの戒めの本意なのだろう。
大切なことは、愛の神、救いの神を心に留め、このお方が私に何を望んでおられるのかというこに常に思いを向かわせていくこと、それが本当の意味での「神と共に生きる」ということなのだろうと思う。

Write a comment:

Your email address will not be published.