2テモテ 4:1 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
4:3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。
4:5 しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
4:6 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。
4:7 わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
4:8 今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
折りが良くても悪くても、み言葉の宣教に励むようにパウロは勧めている。
本当は、宣教するのに良い時なんてないし、悪い時もない。
いつでも機会は与えられているし、いつでもやるべきことはあるのだろう。
それなのに、いつも躊躇してしまうのは、失敗を恐れているからなのだろう。
けれど、失敗するといったことは考える必要はないし、何等かの意味を持ち、なんらかの影響を与えていくことには変わりない。
だから、常にやるべきことをやるだけである。
御言葉を語り、その言葉を聞いた人が救われるかどうかは、語る者にわかりっこないし、案外、思いがけないところで実を結んだりもする。
全ての時がチャンス。
そう信じて、今日の一日を歩みたいものである。