1コリント 7:17 おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会でわたしが命じていることです。
7:18 割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。
7:19 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。
7:20 おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。
7:21 召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。
7:22 というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。
7:23 あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。
7:24 兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。

人それぞれに個性や性格の違いがあるし、生きてきた境遇や経験もさまざまであろう。
多くの人が、自分の生まれや人生を好ましく思わなかったり、もっと良い家に生まれてきたかったと思うことがあるかもしれない。
けれど、そう考えているのは自分だけで、主なる神様はそうは考えてはいない。
人がどんな家に生まれようと、あるいは、どんな境遇を歩んで来ようと、一人の人間として、同じ価値、同じ尊さをもって、私たち一人一人の命を愛して下さっている。
そのことを知った時、自分がどういう人生を歩んできたかということは、悔やんだり、恨んだりするようなことではなく、むしろ、こんな小さな人間をも命がけで愛して下さっていることの素晴らしさを覚え、大きな慰めと励ましを頂いて、自分の人生を肯定的に歩むことができるようになるのではないだろうか。
自分が歩んできた境遇や置かれている環境は、すぐには変えられなくても、どこにいても、神が愛して下さっている事実に目を留めながら、無理に変わらなくても良いし、変えられたなら変えられたで、新しい環境を感謝しつつ精一杯生きていけたなら、それが幸いであると思う。

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