1コリント 1:10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
1:11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
1:12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
1:13 キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
1:14 クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。
1:15 だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。
1:16 もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。
1:17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。
人を惹きつけるような魅力ある人を「カリスマ」と呼ぶことがある。
しかし、もともと「カリスマ」とは「賜物」という意味であり、文字通り、神様から与えられた贈り物を示す言葉である。
そして、神様が我々人間に与えられた最高の賜物こそ、イエス様ご自身であり、私たちは、イエス様の尊い命の代価によって罪の赦しと救いの約束を頂いているのである。
それ以外のどんな人間的な業も力も、魅力も能力も、救いを達成することのできるものはない。
パウロもまた、そのことを訴えようとして、人につくのではなく、神にのみ信頼するように勧めているのであろう。
人間的に魅力ある人がいることは悪いことではないし、大いに、人が用いられることは好ましいことであろう。
けれども、私たちを救いうるお方は、十字架の贖いと復活を成し遂げられたイエス様だけである。
使徒 4:10 あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。
4:11 この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。
4:12 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
素晴らしい働きをし、魅力ある働きをしている人を見たら、その人に豊かな賜物を与えて下さった主に感謝し、主をほめたたえたいものである。