マタイ 23:34 だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。
23:35 こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。
23:36 はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」

多くの人が、何か身の回りに悪いことが起こると、先祖の祟りなどではないかと考えることが多いかもしれない。
けれど、自分が犯した罪に対して、自分が責任を負う、というのが当然であるし、神の国でも同様のことが述べられていると言えるだろう。
自分の罪の責めは、いつか必ず自分自身が支払うことになる。
ただ、唯一、イエス様を信じるならば、その責めは、イエス様があの十字架で支払って下さる。
キリストを信じる信仰は、一人一人の罪の問題でもあり、一人一人とイエス様との関係でもある。
先祖は先祖、私は私。
自分自身の悔い改めを怠り、まるで先祖が悪いかのように考える事は、まさに無責任でしかない。
そのことを踏まえ、まずは自分自身を顧み、その上で、あのキリストの十字架が私のためであり、私の身代わりであり、本来の私の姿であったことを覚え、それゆえに赦された喜び、救われた者の平安を味わうものでありたい。

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