イザヤ 11:11 その日が来れば、主は再び御手を下して御自分の民の残りの者を買い戻される。彼らはアッシリア、エジプト、上エジプト、クシュ、エラム、シンアル、ハマト、海沿いの国々などに残されていた者である。
11:12 主は諸国の民に向かって旗印を掲げ地の四方の果てからイスラエルの追放されていた者を引き寄せユダの散らされていた者を集められる。
11:13 エフライムのねたみは取り去られユダの敵意は断たれる。エフライムはユダをねたまずユダはエフライムに敵対しない。
11:14 彼らは、西のペリシテを側面から襲い共に、東の民を略奪する。彼らはエドムとモアブを支配しアンモンの人々を服従させる。
11:15 主はエジプトの海の入り江を干上がらせ御手を大河の上に振って、強風を起こしそれを打って七つの流れとしサンダルのまま渡れるようにされる。
11:16 エジプトの地から上った日にイスラエルのために備えられたようにアッシリアに残されていたこの民の残りの者にも、広い道が備えられる。

全世界にちりじりにされていたイスラエルの民は、神の恵みに導きによって、再び呼び集められ、一つにされる、ということが約束されている。
イスラエルにとって、回復の時であり、それは喜ばしい救いの出来事と言えるだろう。
しかし、これらのことは、神がイスラエルの民を通して預言された救いの出来事の預言でもあり、単純に、全ての国民がイスラエルに集結する、というのではない。
集められるのは、主の御国である。
聖書のみ言葉が語られ、キリストのもとに召し集められ、そして、神と結ばれて一つ民となる、そのような約束こそ、ここで語られている事柄の本質であろう。
我々も、失われていた者、散らされていた者であり、イエス様の贖いの御業によって神に買い戻された者である。
イスラエルの民がエジプトを脱出し、バビロンから解放され、世界中に散らされたところから、残りの者たちが召し集められたように、我々も大いなる喜びを持って主の御前に立たせていただいているのである。

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