マタイ 19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
イエス様のところに子供たちを連れてきて、手を置いて祈って頂こうとした人たちを弟子たちは叱ったという。
彼らはなぜ、そのような行動をとったのだろう。
きっと、お忙しいイエス様のお手を煩わせたくないといった風に考えただろうし、彼らの思いの中に、イエス様のなさること、語られる言葉は、子供たちには理解できないと考えたかもしれないし、イエス様の教えや働きは、大人のために用いられるべき、と考えたかもしれない。
いずれにしても、弟子たちの考えには、大人のほうが子供たちより優れている、との認識があったであろうことは想像できる。
大人は偉いのだろうか。
子供は劣っているのだろうか。
どこかで私たちの中で勝手な固定概念を形作ってしまってはいないだろうか。
それほど大人の考えは正しいのだろうか。
子供の思いは常に不安定で、まだ何もわかっていないのだろうか。
人はみな平等であり、だれもが感じ、考え、そして生きている。
なぜそれを大人は尊重しようとしないのだろうか。
もちろん、まだ未熟な領域もあるだろう。
けれど、全てがそうではない。
いろいろなことはまだまだ学ばなければならないことも多いけれど、子供たちが感じ、考え、行動しようとすることを、そっと静かに見守りながら、時には手を貸し、時には手を貸さず、自立した一人の人格を認めた上で、その思いが神に向けられていくように促してあげられれば、きっと幸いな人生を送ることになるだろうと思う。
全ての子供たちに、イエス様の祝福がありますように。