マタイ 17:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
17:10 彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
17:11 イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
17:12 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
17:13 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
イエス様の時代、聖書と言えば旧約聖書のことを指していたが、その旧約聖書の最後の箇所には、預言者エリヤの到来が預言されている。
マラキ3:19 見よ、その日が来る炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
3:20 しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。
3:21 わたしが備えているその日にあなたたちは神に逆らう者を踏みつける。彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。
3:22 わが僕モーセの教えを思い起こせ。わたしは彼に、全イスラエルのためホレブで掟と定めを命じておいた。
3:23 見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
3:24 彼は父の心を子に子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。
旧約聖書はマラキ書のこの言葉で終わっており、その後、新たな預言者が起こされることは無く、次に預言者が起こされる時は、まさに終わりの時であり、神の国の到来を告げるものとなる、というのが、この預言の言葉の趣旨である。
だから、預言者エリヤの再来は、これまでの時代が終わり、新たな神の国の到来の時が訪れると考えられていたのである。
そして、イエス様は、そのエリヤは既に現れたと告げ、弟子たちは、それがバプテスマのヨハネのことであると悟ったのである。
つまりそれは、いよいよ神の国の到来を告げるものであり、イエス様こそが、真のメシアとしてこられたお方であるということを示す言葉でもある。
イエス様は、ヨハネが捕らえられ、殺されたように、ご自身も捕らえられ、殺されるであろうことを知っておられた。
神の国の到来を告げる喜ばしい訪れであると同時に、イエス様の尊い戦いが始まったのである。