マタイ 12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、
12:16 御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。
12:17 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
12:18 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。
12:19 彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。
12:20 正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。
12:21 異邦人は彼の名に望みをかける。」

イエス様は、どんなに多くの人々を癒されても、そのことを言いふらさないように戒められたと言う。
癒しの業だけが言い広められ、肝心の救いのことがおろそかにされないためであろう。
癒しも大切な働きには違いないが、それは、イエス様が救い主であられることを示すために用いられた業に過ぎない。
幾ら病が癒されたとしても、人は永遠に生きるわけではないからである。
癒しは一時的なもの。
しかし、救いは永遠である。
このような永遠の救いをもたらされたイエス様を私たちは信じ、ほめ、そして従って行くのである。

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