マタイ 9:32 二人が出て行くと、悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。
9:33 悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。
9:34 しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。
9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
9:36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

この世に悩みは多い。
そして、それらの悩みを解決することのできるほどの力を持った人はイエス様以外いない。
人間のいかなる努力、行為、または、祈祷などによってできるものではない。
それでもイエス様は「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」と仰せられる。
我々に一体何ができるというのだろう。
できると思っているところに傲慢さが残る。
それでも我々は聖書のみ言葉に頼っていく。
願わくは、主が用いて下さること。
行動するのは人間かもしれないが、それを動かして下さるのは主である。
自分の思うようにではなく、主が遣わされたところに行く。
そんな働きのあり方を求めていきたいものである。

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