マタイ 8:18 イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。
8:19 そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。
8:20 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
8:21 ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
8:22 イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」
イエス様を信じ、イエス様に従って行くということは、イエス様と共に「生きていく」ということである。
イエス様が「死者の葬りは死んでいる者たちに任せよ」と仰せられたことは、決して死んだ者を粗末に扱っていいということではなく、むしろ、生きている時にできることのほうが重要である、ということなのだろうと思う。
先週、ある方の葬儀が行われ、ご遺族の方々とお話しする機会があったが、次第に弱られていく家族をお見舞いするのは辛かったと言っておられた。
けれど、お見舞いしてもらうことで、ご本人がどれほど慰められただろうかと思う。
死んでから、幾ら葬儀に時間とお金を費やしても、本人は喜ばないだろう。
生きている時にどれだけ愛を持って接するか、そちらの方が大事である、そういうことなのだろうと思う。