創世記 26:15 ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。
26:16 アビメレクはイサクに言った。「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい。」
26:17 イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ。
26:18 そこにも、父アブラハムの時代に掘った井戸が幾つかあったが、アブラハムの死後、ペリシテ人がそれらをふさいでしまっていた。イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた。
26:19 イサクの僕たちが谷で井戸を掘り、水が豊かに湧き出る井戸を見つけると、
26:20 ゲラルの羊飼いは、「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争った。そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。彼らがイサクと争ったからである。
26:21 イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた。
26:22 イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。
26:23 イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。
26:24 その夜、主が現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やすわが僕アブラハムのゆえに。」
26:25 イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。
イスラエルに定住する者たちにとって、井戸は生きていくうえで必要不可欠なものである。
その所有権をめぐって、イサクはペリシテ人たちとの間に争いが生じていたが、どんないやがらせにも屈することなく、新たな井戸も掘りあてていき、もはや、過去のどんな事情を知らなくても、自分たちが掘り当てた井戸について、もはや所有権を巡る荒尾市が起こることは無くなっていったのであろう。
いつの時代にも、先祖の所有地を巡って争いが絶えることはない。
ただ、生きている間に苦労して得たものについては、誰もそれをうばいとることは できない。
イスラエルの民は、ずっとこのようなことを強いられてきただけに、金融業など、知恵を用いて資産を増やす方法を生み出してきた。
今や、世界は彼らの生み出したシステムを大いに利用して繁栄している。
富を所有しているだけでは、なんら役に立たないが、有効に用いることで、何倍もの価値を生み出していく。
我々も同じ、何もしないでじっとしているだけでは、何の価値も生み出さないが、働いて、他者に仕え、社会に貢献していくことで、有益な人生ともなる。
今週一週間も、与えられたところで、与えられた仕事を全うできるようにと願うものである。