2テサロニケ 3:6 兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。
3:7 あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。
3:8 また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。
3:9 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。
3:10 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。
3:11 ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。
3:12 そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。
3:13 そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。
3:14 もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。
3:15 しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。
3:16 どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。
3:17 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印です。わたしはこのように書きます。
3:18 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。
テサロニケのクリスチャンたちの中には、すでに世の終わりが来てしまったのではないかと考え、仕事もせず、いつ生涯を終えても良いように、好きな事、やりたいことだけをしていた人たちがいたのであろう。
しかし、パウロは、そのような考えをする者たちに厳しく警告し、いつ世の終わりが来ようとも、いつもと変わらず、落ち着いて生活をし、与えられた仕事を全うするように命じているのである。
仕事をするということは、他者を助けることにもつながるし、収入を得ることにもつながる。
誰もが楽をしたいし、できることなら遊んで暮らしたいと思うかもしれないが、聖書ははっきりと「働くこと」を推奨しているのである。
ともすると、日本人は仕事が生きがいのようになってしまう人が多いのかもしれないが、働くことと生きること、生活していくこととは、とても密接な関係があるし、神が与えられた個性や賜物、環境や人との関わりなど、そこに自分がいることで求められる働きがあるはずであろう。
何をするのが最善なのかはわからないが、神の御心に従い、人々が助け合って生きていけるように、自分のなすべきこと、できることを求めていきたいものである。