マタイ 23:34 だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。
23:35 こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。
23:36 はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」
本日は教会暦で殉教者ステファノの日となっている。
ステファノと言えば、使徒言行録6~7章あたりで記されている通り、教会の成長に伴って執事として召された人の一人であり、”霊”と知恵に満ちた評判の良い人であったと記されている。
そして、それおどころか、彼は最後までキリストの証人としての使命を全うし、殉教の死を遂げるのである。
それゆえに、聖人扱いされているのであろう。
ステファノに関する記述を見ると、確かに立派な人物のように見えるが、彼は、彼自身の信仰を守り通しただけに過ぎない。
与えられたところで、与えられた務めを全うし、そして、与えられた使命を果たしていったということなのであろう。
そう考えていくと、必ずしも殉教の死を遂げることだけが素晴らしいのではなく、穏やかに与えられた人生を全うしていくことが求められている人もあってよいし、それぞれになすべき務めを果たしていくことが大切なのではないかと思う。
大切なことは、どんな生涯であれ、常にキリストと共にあって生きることであろう。