ルカ 21:29 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。
21:30 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。
21:31 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。
21:32 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。
21:33 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

太陽と月と星に徴が現れ、地上では海がどよめき荒れ狂い、諸国の民は、なすすべもなく、不安に陥る。
そして人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失い、天体が揺り動かされる。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

こんな光景に出くわしたなら、確かに人は、不安と恐怖におののき、世界の滅亡を考えることだろう。
しかし、イエス様は、それを「いちじくの木などの葉が出始めると、夏が近づいたことを知ることができる」とたとえ、まるで、みずみずしい命あふれる新緑の季節にたとえて、神の国の到来を語るのである。
まるで、今の紅葉や落葉の季節とは真逆の光景なので、ついつい忘れがちであるが、イエス様は美しい新緑の頃を思い出すように促すのである。

もうすぐクリスマスを迎えようとしているが、もともとクリスマスの時期は定かではなく、北欧の国々の人たちが、暗く、長い冬が終わり、温かい春の日差しが戻ってくることを待望する日として、これから徐々に昼の時間が長くなる冬至の日に太陽神をあがめていたことに対抗し、クリスマスが制定されたと聞く。
信憑性はともかく、北欧の人たちが、温かい春を待ち望む気持ちは、外の景色とは違って、希望と喜びに満ちた時の始まりを思わせるものであったに違いない。
一番暗く、一番寒い時、しかし、そこから先は、明るく、温かい春へと向かっていく日の始まりでもある。

次の日曜から待降節に入りますが、教会歴では、待降節は新しい一年の始まりであり、その意味では、今日金曜日、そして、明日の安息の土曜が、まさに、今年最後の日なのかもしれません。
古きものは過ぎ去り、新しいものが訪れる。

2コリント5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
5:18 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
5:19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
5:20 ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
5:21 罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

暗く、寒く、先の見通しの悪い時代にあっても、永遠に変わらなない神のみ言葉を、世に宣べ伝えていく。
共に、この働きに携わらせていただきたいものである。

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