ルカ 20:1 ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、
20:2 言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」
20:3 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。
20:4 ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」
20:5 彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
20:6 『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」
20:7 そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。
20:8 すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
最近のニュースを見ていると、東京オリンピックの会場をどうするかということで、都知事やらJOCの人やら、あるいは競技団体の人たちなど、いろんな人たちが自分の都合を優先して様々なことを述べては混乱を招いている様子がうかがえる。
もちろん、都知事だって、都民の信認を得て当選した方でしょうから、それなりの権威はあっていいと思う。
が、スポーツ競技には、それなりのルールがあり、政治家とは土俵が違うのだから、まったく異なる観点から意見が述べられることは当然のことであろう。
そもそも、オリンピックを招致したのは東京都であり、競技団体の意向に従って、受け入れ側として準備していくのは当然ではないだろうか、と思うのである。
権威という言葉は、特殊な言葉であると思う。
何が正しいかということより、誰に聞き従うべきかということが重視されるからであろう。
専門家でもないのに、あたかも自分自身に権威があると考え、間違った選択をしていくことは混乱を招くだけであろう。
神の国のこと、救いのことについては、我々人間は、まったくの素人同然であろう。
ならば、せめて、神が遣わされた預言者に聞き、彼らの語った言葉が収められている聖書に聞くのは、とても大切なことであろう。
自分勝手に解釈するのではなく、聖書のみ言葉に聞いていこう。