ルカ 16:14 金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。
16:15 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。
16:16 律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。
16:17 しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい。
16:18 妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる。」

ファリサイ派の人たちは、旧約以来の律法の教えをどれだけ守っているか、あるいは、自分たちこそが神に選ばれた特別な存在だと考えていた。
言わば、イスラエルの社会におけるエリートたちであったのだろう。
しかし、その実態は、ここにも記されているように、金に執着する人たち、であったということである。
見かけ上は、神の教えを忠実に守り、清く生きているようでいて、彼らの関心ごとは、金であり、この世でのステータスそのものであったのだろう。
だが、それらのものは、永遠ではない。

人は永遠ではないものに、これほどまでに執着するのだ。
永遠に残るもの、信仰、希望、そして愛であると聖書は語る。
いつまでも変わらないのは、人間の業や、それによって積み上げられた富や名声でもない、神の大いなる愛のみである。
そして、それのみが人を救いうることができるものなのである。

Write a comment:

Your email address will not be published.