ルカ 13:31 ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。
13:33 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
13:34 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」

イエス様を捕らえて殺そうとする計画は、確実に進められていた。
一方、イエス様もまた、ご自分のなすべき神の国の御業を着々と進めていた。

このことはいつの時代にも、どこの国でも変わらないのだろう。
私たちの国でも、キリスト教に対する迫害や無関心はずっと変わらないし、これからもきっと同様であろうと思う。
しかし、一方で、キリストの十字架による救いの御業は、確実に進められていく。
信じない人が大勢いようが、迫害する人が大勢いようが、人の目にはキリスト教会など恐れるに足りないものとしか見えていなくても、神の国は確実に進展していく。
その日、その時には、すべての人が主を恐れることになるだろう。
しかし、すべての人が「主の名によって来られる方に、祝福があるように」とたたえることができるとは限らない。
むしろ、少ないのだろう。
だから、少なくても、我々は主を待ち望む。
主の救いにあずかるものとされたことを感謝し、今日を歩んでいきたい。

Write a comment:

Your email address will not be published.