病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払い

なさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。  マタイ10章8節

 イエス様が群衆をご覧になり、飼い主のいない羊のように弱り果てているのを深く憐れ

まれたこと、12人の弟子を選び、派遣されたことが記されています。

シンプルに生きる

 イエス様がお教えになった主の弟子の心構えを通して、今日わたしたちが主の弟子とし

てどのように召されているのかを学びたい、と思います。その第一は、シンプルに生きる

ということです。イエス様が弟子たちに持つように命じられた持ち物は、必要最低限のも

のでした(9~10)。それは、主にのみより頼む信仰を弟子たちに学ばせるためでした。

イエス・キリストを信じて生きる、それは、シンプルに生きることを可能にするのです。

使命に生きる

 第二にそれは、使命に生きるということでした。イエス様は、「町や村に入ったら、そこ

で、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。

その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさ

わしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、そ

の平和はあなたがたに返ってくる」とおっしゃいました(11~13)。イエス様は、結果

より、何を目指して生きたか、使命に生きたかを問われるお方です。

恵みに生きる

 第三にそれは、恵みに生きるということでした。イエス様は、「ただで受けたのだから、

ただで与えなさい」とおっしゃいました(8)。わたしたちは、自分の行いによって救われ

るわけではありません。信仰に熱心になって救われるわけではありません。イエス・キリ

ストを救い主と信じる信仰によって救われるのです。ただで受けたのだから、ただで与え

る生き方、恵みによって救われたのだから、その恵みの通路となっていく生き方、それが

主の弟子としての生き方なのです。

                                        (前川隆一牧師)