先週のメッセージ

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」    マルコ4章40節
 

弟子たちが、嵐を沈められるイエス様のことばを経験したできごとです。

熱心なこと?よきわざ?
第一に、イエス様は、「まだ信じないのか」とおっしゃって、弟子たちの信仰を問題とされました。イエス様が求めておられた信仰、それは、どのようなものだったのでしょうか。イエス様にとって、信仰、それは、どれほど熱心であるかということではありませんでした。また、どれほどの行い、わざをなしたかということでもありませんでした(マタイ7章21~23節)。では、信仰とは何か。それは、イエス様から与えられるものです。わたしたちは、どうでしょうか。イエス様がお与え下さる信仰を、信頼をもって受け取っているでしょうか。

ケセラセラ?
もう一つのこと。信仰とは、イエス様がお与え下さる信仰を、信頼をもって受け取ることです。ではそれは、イエス様が嵐の中で、父なる神様に信頼して休んでおられるのですから、同じように、イエス様といっしょに休むこと、昼寝をすること。それが、信仰なのでしょうか。それは、信仰の本質を理解せず、ただイエス様の真似をしているだけです。また、このとき、イエス様は、父なる神様に信頼するとともに、向こう岸に渡るために舟を操る弟子たちに信頼して身を任せておられました。弟子たちにとって、船を操るということは、イエス様から委ねられたたいせつな働きでした。

信仰とは?
第三のこと。それでは、イエス様がお与え下さる信仰とは何なのでしょうか。弟子たちは、いつ、その信仰を受け取ったのでしょうか。それは、イエス様が十字架で死に、復活された後のことです。イエス・キリストの救いを贈り物として受け取るとき、罪の赦しを受け、神の子とされ、永遠の命の祝福に与ることができるという信仰を弟子たちは受け取ったのでした。わたしたちも、この贈り物として受け取った洗礼という原点に日々立ち返って行くよう招かれているのです。そして、その信仰によって、与えられたそれぞれの場所、それぞれの立場で、奉仕し、働くようにと召されているのです。

(前川隆一牧師)

以前のメッセージ

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」    マルコ4章40節   弟子たちが、嵐…

また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽…

見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。   …

そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日…

Page 1 of 1291 2 3 129