先週のメッセージ
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。 ヨハネによる福音書2章11節
ヨハネによる福音書は四福音書の中で最後に書かれ、使徒ヨハネはイエス様が行われた奇跡の内7つを、イエス様が神の子であることを証しする「しるし」として選んで、読者が信じてイエスの名により(永遠の)命を受けるために、この福音書を書きました(20:31)。
最初のしるしは神の創造のみわざの現れ
最初のしるしは、このカナの婚礼で起こりました。水をぶどう酒という別の物質に変えたのは神様の創造の力です。ヨハネ福音書1章の言による創造の記事には、創世記1章の天地創造の記事との平行が見られます。ぶどう酒の品質が最上級であったことは、全てが「きわめて良かった」(創世記1:31)という神様の天地創造のみわざを思い起こさせます。
イエス様が栄光を現される時
助けを求める母マリアに対し、一見冷たく聞こえるイエス様の答えは、神の子としての立場から語られたものでした。イエス様は、世間の注目をご自身に集めるために奇跡を行うことには慎重でしたが、人々への深い憐れみから、婚宴の喜びが失望に変わることがないようにされました。イエス様の(栄光を現されるべき)時(4節後半)とは、全ての人の罪を取り除く神の小羊として十字架上で死なれる時を指します。十字架の前の過越の食事でイエス様はぶどう酒を、新しい契約の血と言われました。旧約律法やきよめの水が成し得なかった、完全な罪の赦しと新しい命の喜びを、イエス様は与えてくださるのです。
御言葉に従って神様の栄光を見た人々
このイエス様のみわざに関わった人々がいました。母マリアは、必要を申し上げた後はイエス様のご意思に任せ、良き御心を待ち望みつつ備えました。大きな水がめ6個に水を満たした召し使いたちも、何のためか理解はできなくともイエス様の言われた通りに行い、新しいぶどう酒がどこから来たのか、神様のみわざを知る者となりました。「もし信じるなら、神の栄光が見られる」(11:40)とイエス様が言われる通りです。神様の大きなみわざを現すために、イエス様はからし種ほどの小さな信仰を通して働かれます。イエス様は疑い深いトマスの信仰を呼び起こされました。「見ないのに信じる人は、幸いである」(20:29)という言葉は、今に生きる私たちにも向けて語られています。
(松田朋子姉)
以前のメッセージ
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わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 …
荒野 ヨハネがイメージしている、また、聖書がイメージしている荒野、それは、自然の荒野ということだけではありませ…
「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」 …