イエスは、そこから彼らをベタニアのあたりまで連れて行き、手を上げて祝福さた。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 ルカ24章50~51節

今日は、イエス様の昇天のできごとです。今日の箇所の鍵となることばは、「祝福」、「証人」、「心の目を開いて」という三つのことばです。まず、「心の目を開いて」ということばに注目しましょう。
神との出会い
わたしたちも心の目を開いていただくことが必要です。心の目を開いていただいて、わたしたちは、第一に神との出会いを経験します。それは、物言わぬ偶像ではなく、生きて祈りに応えて下さる神様です。また、怒りの神、裁きの神ではなく、愛の神様です。その神様と、わたしたちは、イエス・キリストの十字架を通してお会いすることができるのです(46)。
自己との出会い
心の目を開いていただいて、わたしたちは、第二に自己との出会いを経験します。今日の聖書に、「『また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる」と言われています(47~48)。主の証人となる。でも、それは足元から始める必要があります。わたしたちの足元、それは、自分自身です。まず、わたしたち自身が福音に与かることが必要なのです。
他者との出会い
心の目を開いていただいて、わたしたちは、第三に他者との出会いを経験します。わたしたちは、自らが福音に与かることが必要です。自分を正しく愛する者となることが必要です。その上で、ほんとうの意味で、他者と出会う者となることができるのです。主の証人となることができるのです。
イエス・キリストの十字架、復活、昇天によって、新しい福音の時代が始まりました。でも、救いは、まだ完成していません。その「すでに」と「いまだ」の間で十字架を負う、主の証し人として生きる、それがクリスチャンの歩みです。人生には、曇りの日もあれば、雨の日もあります。でも、雲の上には太陽が輝いているように、主の祝福は変わらないのです。変わることのない主の祝福の中で、喜んで十字架を負う者として、主の証人として、歩む者と主に導いていただきましょう。

                                                                                    (前川隆一牧師)