「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」       マルコ13章31節
 
 「目を覚ましていないさい」ということばが繰り返されている部分です。

希望に生きる
受け取った救いと、その救いの完成のためにお出でになる主を見つめる。心を向ける。そこから導かれる生き方、それは第一に、希望に生きるということです(ローマ5章3~5節)。まったき救いに与り、完全な救いの完成を待ち望む者として、わたしたちは、希望に生きるように招かれています。

愛に生きる
第二のこと、それは、愛に生きるということです。わたしたちの賜物、能力というものは、こんな賜物だろうか。あんな能力だろうか。と、自分で自分を眺めていただけでは開発されません。神様がわたしの目の前において下さった方のために愛をもって仕えようと用いて行くときに、開発されるのです。34節の「責任を持たせ」という部分、「権威を持たせ」との訳すことができることばが使われています。わたしたちは、何にも束縛されない自由な王としての権威が与えられています。その権威を、わたしたちは、愛をもって仕えるようにと召されているのです。

信仰に生きる
 第三に、それは、信仰に生きる生き方です。ときどき、わたしたちは思います。「こんなこと、ほんとうに役に立っているのだろうか。」「わたしのしていること、ほんとうに意味があるんだろうか。」そんな疑いが頭をもたげて来ることがあります。けれどもそこで、わたしたちは信仰によって、確信をもつことができるのです。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(31節)。聖書の言葉、イエス・キリストの言葉は、滅びることはないのです。そして、キリストの言葉によって、神の子としていただいたわたしたちのわざも滅ぶことはないのです。神の子とされたわたしたちの愛のわざ。それが、どんなに小さなものであっても、足りないものであっても、それを神様は喜んで下さるのです。喜んで受け入れて下さるのです。そのことを信じて、わたしたちは愛のわざに励むことができるのです。また、希望に生きることができるのです。

(前川隆一牧師)