すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これは私の愛する子。これに聞け。」    マルコ9章7節

 三人の弟子を伴って山にお登りになったときのこと、イエス様のお姿が栄光に輝くお姿に変わったという変貌山のできごとです。

山に登る
第一に覚えたいことは、日常から離れた山の上でこのことが起こったということです。後にクリスチャンたちは大きな戦いを経験しますが、そのような戦いの中にあって、ペトロを、そして、クリスチャンたちを支える力となっていった、それがこのできごとでした。わたしたちも、経験するさまざまな戦いに打ち勝つ力を神様からいただくために、山に登る必要があります。では、わたしたちにとって、山に登るとは何を意味しているのでしょうか。それは、礼拝こそ、山に登るということなのです。

山を降りる
第二に、弟子たちは山を降りる必要があったということに心を留めたいと思います。そのすばらしい光景を目の当たりにしたとき、ペトロは、そこに留まりたい、ずっとそこにいたいと思いました。それは、わたしたちも同じです。神様の恵みを受けたとき、それを、自分だけのものにしておきたい、独り占めしておきたい、という気持ちが働くのです。けれども、神様の恵みは、閉じ込めてしまうなら、なくなってしまうのです。逆に他の人に分かち合えば分かち合うほど、その恵みは大きくなっていくのです。「わたしは聖言に往った。聖言はわたしを経験に追いやり わたしは経験に往った。経験はわたしを聖言に追いかえした。わたしの魂は二者のあいだの使者となったことを喜ぶ」。わたしたちは、みことばと経験、二つの間の使者となるよう召されているのです。

イエス様といっしょに山を降りる
第三に、山を降りる、でもそれは一人ではない、イエス様といっしょに山を降りるように、イエス様といっしょに日常の生活へと帰って行くようにとわたしたちは召されていることを覚えましょう。この一週間も信仰の友といっしょに、そして、もっともよき友であるイエス様といっしょの歩む一週間と導いていただきましょう。

(前川隆一牧師)