ヨハネ3:1-17

召しに従う
わたしたちもまた、キリストにあって、アブラハムと同じように、祝福の源となるようにと神様から召されている。そのことを確認したいと思います。第一に、神様の召しに生きることを通して祝福の源となる、ということです。今日の福音書に登場して来るニコデモという人、彼は、そんな宗教的にも、社会的にも指導的な立場にある人でしたが、夜、イエス様のもとを訪れ、言わば、教えを乞うたのでした。神様の召しに生きるということで言えばこのニコデモは、かなり高い点をあげてもよい人でした。

あかし人として
けれども、第二に、ニコデモは、主のあかし人として、祝福の源となるということで言えば、祝福の源になり損なってしまいました。けれども、後日談がありました。実は、このニコデモという人、聖書の中で、後二回登場して来ます。それは、ヨハネ7章50~51節とヨハネ19章38~39節です。神がこの方とともに生きて働いておられると言うことができるイエス様が、十字架で死んで下さった。自分の闇を引き受けて、十字架で死んで下さったということを目の当たりにしたとき、ニコデモはすべてを悟ったのでした。そして、イエス様に従う者となって行ったのでした。イエス様をあかしする者となって行ったのでした。そして、闇を抱えた者として、同じく闇を抱える人に寄り添い、共感しつつ、主をあかしして行く者となって行ったのでした。

(前川隆一牧師)

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