「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます」
                                 ルカ2章29節

 幼子イエスを連れて、ヨセフとマリアが神殿にいわゆる宮もうでに行ったとき、シメオンとアンナが救い主イエスを祝福したというできごとです。
救いを見る
幼子イエスを見たときに、シメオンは、29節ですが、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます」と言いました。一年の終わりに、安らかに一年を送り、そして、安らかに一年を迎えることができたら、それは、なんと幸いなことでしょうか。では、どのようにして、安らかに一年を送り、安らかに一年を迎えることができるのでしょうか。それは、第一に、シメオンは、「わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と言いました。シメオンが、その貧しさのゆえに、祭司たちが顧みなかった幼子イエスの中に神の救いを見たように、滅んでいく者にとっては愚かなものである十字架の言葉に神の力、神の救いを見て行く。そこに、安らかに一年を送り、そして、安らかに一年を迎えて行く秘訣があるということです。

小さなキリストとして生きる
もう一つのことに、心を留めたいと思います。それは、そのようにキリストを信じる者とされたわたしたちは小さなキリストとされるということです。そして、わたしを通して、わたしとともにいて下さるキリストを見上げる者を神様は顧みて下さるということです。わたしたちは、キリストと出会うという経験をします。ですから、マタイ25章40節の「最も小さい者」とは、わたしたちが日常の生活の中で出会うあの人、この人ということです。とともに、この「最も小さい者」とは、キリストを信じる者とされたわたし、クリスチャン、キリスト者のことでもあます(マタイ10章41~42節)。わたしたちを通して、ともにいて下さるキリストを見、親切にしてくれる人、水一杯でも飲ませてくれる人は、その報いから外れることはない。そんな存在と、わたしたちはされているのです。そして、そこに、安らかに一年を送り、そして、安らかに一年を迎えて行く秘訣があるのです。

(前川隆一牧師)

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