すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしのこころに適う者』という声が、天から聞こえた。                        マルコ1章11節
イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった場面です。

罪人の立場
それにしても、罪のない神の御子、イエス・キリストがどうして罪のゆるしの洗礼をお受けになられたのでしょうか。確かに、イエス様は、乙女マリアからお生まれになった神の子でした。罪のないお方でした。その罪のないお方がわたしたちと同じ罪人の立場に立たれた。それが、イエス様が洗礼をお受けになったできごとでした。人をほんとうに助けようと思ったら、その人の立場に立って感じ、考えることがたいせつです。イエス様も、わたしたちの悩み、苦しみ、痛みをほんとうの意味で感じ、理解し、共感することができるよう、わたしたち罪人と同じ立場に立って下さった。それが、洗礼のできごとでした。

使命の自覚
また、この洗礼にできごと、それは、メシア、救い主としての使命を初めて自覚することとなった。そういう意味で、イエス様にとって、原点となるできごとでした。イエス様は、何ものにも束縛されない王として即位されました。けれども、それは、仕える王として歩むようにとの御声を受けられました。そして、十字架で命を献げる王として即位されました。

原点
第三に、イエス様の洗礼、それは、わたしたちにとっても原点と言えるできごとです。イエス様が、罪のないお方であったのに、罪人の立場に立って洗礼をお受けになったように、わたしたちも、キリストの名による洗礼を受けるように招かれているのです。この一年間、わたしたちいろいろなところを通ることと思います。失敗すること、落ち込むこともあるに違いありません。そのとき、無理に、プラス思考に切り替えようとしなくてもよいのです。そのマイナスをすべて引き受けて、キリストが十字架で死んで下さったのです。その救いを受け取る洗礼にわたしたちあずかったのです。その原点にわたしたち立ち返り、立ち返りして歩むようにと、わたしたち招かれているのです。

(前川隆一牧師)

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