イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしと会うことになる。」  マタイ28章10節
 
イースターの朝のできごとと、ガリラヤでの復活の主イエスとの出会いとです。

不意打ち
今日の箇所を通して、弟子たちとガリラヤでお会いになる。言わば公式にお会いになるその前に、天使の御告げを告げようと走る女性の弟子たちの前に、復活の主はお姿を現し、出会って下さったということに心を留めたいと思います。それは、不意打ちされるような経験でした。不意打ちというと、たいていの場合、否定的なイメージのできごとを想像します。けれども、女性の弟子たちにとって、それは、うれしい、喜ばしい不意打ちでした。

兄弟
第二に、イエス様が、「兄弟たち」とおっしゃった。そのことに心を留めたいと思います。イエス様は、十字架上において、詩編の22編の預言の成就として、こう叫ばれました(1)。「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。」けれども、この詩編22編は、それだけでは終わっていません。叫びで始まり、絶望的な状況をくぐりぬけて、最後は希望で終わっています。イエス様は、一人、十字架の絶望的な苦しみを味わわれました。けれども、その苦しみと死をくぐりぬけ、復活して、弟子たちのことを「兄弟」と呼びかけられたのでした。たった一人、十字架の苦しみと死を経験し、復活して、その喜びを、弟子たちと分かち合って下さったのでした。

大宣教命令
第三のこと、イエス様がガリラヤにおいて、弟子たちと、言わば公式に会見されたこと。そして、あの大宣教命令を告げられたこと。そのことに、心を留めたいと思います。わたしたちは、「新しい世界の担い手」になるために、みことばをいただくのです。そして、「新しい世界の担い手」として、イエス様がわたしたちを派遣しておられる。それが、この大宣教命令です。その中心は、わたしたちが、イエス様から「兄弟」と呼んでいただいたように、わたしたちのまわりのあの人、この人も、イエス様の「兄弟」として招いて行く。それが、わたしたちに与えられている使命であるのです。

(前川隆一牧師)