すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえた。
マルコ1章11節

 今日の聖書は、イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになったできごとです。罪のないイエス様は、悔い改めの洗礼受ける必要はありませんでした。けれども、イエス様は罪人であるわたしたちと同じ立場に立つために洗礼を受けになったのでした。

何を見られたか
 イエス様が、この洗礼のできごとを通して、何を経験されたか、ということは重要です。まず、イエス様は、洗礼の後、何をご覧になったのでしょうか。それは、「天が裂ける」のをご覧になりました。イザヤ書63章19節には、「どうか、天を裂いてくだってください。御前に山々が揺れ動くように」と言われています。イザヤの時代、天が閉ざされているような状態でした。それは、神が見えない。神のみわざが見えない、という状況でした。その天が裂けるのをイエス様はご覧になったのでした。

何を聞かれたか
 第二に、イエス様は、この洗礼のできごとを通して、何を聞かれたのでしょうか。それは、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天の父なる神様の御声でした(11)。この御声には、旧約聖書の三つの典拠があると言われます。それは、詩編2編、イザヤ書42章1節、そして、創世記22章2節です。イエス様は、仕える王として、また、イサクがアブラハムに従ったように、父なる神様の御声に従って、この後、メシアとしての歩みへと踏み出して行かれるのでした。

何を経験されたか
 第三に、イエス様は、この洗礼のできごとの後、何を経験されたのでしょうか。それは、荒野において悪魔の誘惑をお受けになるという経験でした(マルコ1章12~13)。

イエス様は、罪人であるわたしたちと同じ立場に立つために洗礼を受けになりました。ですから、キリストの名による洗礼を受けたわたしたちは、このイエス様が経験されたできごとに与ることができるのです。イエス様にあって、天が避けるのを見る者とされるのです。「あなたはわたしの愛する子」との御声を聞きつつ歩む者とされるのです。誘惑の中、試練の中、主がともにいて下さるという恵みを体験することができるのです。

(前川隆一牧師)