「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」ルカによる福音書 20:17

「家を建てる者たちの見捨てた石」とはどういう事なのでしょうか。それは家を建てる職人が、家の土台となる石を選ぶ中で「これは使えない」と判断して捨てられた石のことです。使い物にならない、無造作に捨てられた石。それと同じように、イエス様はユダの裏切りにあい、全ての人々から見捨てられました。人々は「イエスを十字架につけろ!」と叫び、十字架に架けてしまうのです。

しかし今日の御言葉は、見捨てられ十字架に架かられた、イエス様こそ本当の意味で私たちの信仰の土台、「いしずえの石」となるのだと言っているのです。

イエス様を十字架に架けたのは、この私の罪です。イエス様の両手両足に打ち付けられた釘、それこそが私の罪であったのです。しかしイエス様はこの十字架のうえでこう祈られました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と。イエス様が十字架に架かられた理由は私達の罪の赦しと救いのためでした。だからこそ全ての人達の、罪の赦しのために、こう祈ってくださったのです。

十字架の愛と御言葉こそが私たちの「いしずえの石」であるのです。                                                                  (清間寿仁神学生)