疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイ11章28節
イエス様の招きのことばです。
欲を第一とした生き方
イエス様がご覧になったときに、世の人々は、天の国を、まちがった仕方で奪い取ろうとしているように映りました(12)。それは、今日も同じです。天の国、神様の祝福をまちがった仕方で奪い取ろうとする生き方、その第一は、自分の欲、欲望を第一とした生き方です。それは、ブレーキが利かない、アクセルだけの自動車のようなものです。どこかで暴走し、自分を傷つけ、人を傷つけてしまうのです。
人の目を第一とした生き方
天の国、神様の祝福をまちがった仕方で奪い取ろうとする生き方、その第二は、人の目を第一とした生き方です。このことに関しては、放蕩息子のたとえの兄息子のことを思い浮かべたら、分かりやすいと思います。彼は、自分はこうある「べき」という縛りの中で生きて来ました。自分がそのように生きているのだから、お父さんは自分にこうしてくれる「べき」、他の人は自分にこうしてくれる「べき」という縛りを無意識に要求していました。そして、その要求が、お父さんはじめ、人との深い関り、交わりを阻害してしまう。そんな生き方をして来ました。
自分の神を作り出す
そして、天の国、神様の祝福をまちがった仕方で奪い取ろうとする生き方、その第三は、自分で自分の神を作り出して行く生き方です。イスラエルは、自分の神、偶像を作り、それに頼るようになって行きました。現代のわたしたちの偶像、それは、何でしょうか。一つには、それは、AIであるのかもしれません。
天の国をまちがった仕方で奪い取ろうとしている人々に向かって、イエス様は、「わたしのもとに来なさい」、そう呼びかけておられます。わたしたちは罪の裁きを身代わりに受けて下さったイエス様の十字架の愛の中で、悔い改めることができるのです。救いを受け取ることができるのです。そして、神様のみこころに歩み、神と人とに仕えて歩むことを喜ぶ者としていただくことができるのです。
(前川隆一牧師)