自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。                       ヨハネ10章4節
 
羊飼いと羊の関係にたとえて、イエス様とわたしたちとの関係が教えられている箇所です。

よい羊飼いであるキリストに聴き従う歩み
第一に、わたしたちの信仰生活、それは、よい羊飼いであるキリストに聴き従う歩みです。イエス様の羊としていただいたわたしたちは、よい羊飼いなるイエス・キリストの御声に聴き従って歩むのです。そして、そこに、平安があり、豊かな祝福があるのです。10節で、「盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」と言われているとおりです。

わたしたちが聴き従うべきイエス・キリストとは
第二に、そのわたしたちが聴き従うべきイエス・キリストとは、どんなお方なのでしょうか。今日読まれた少し先のところですが、18節、「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしはいのちを捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」そう言われています。イエス様は、権威をお持ちの方でした。自由をお持ちの方でした。その権威を、その自由を行使して、自ら、死を選び取って下さった。それが、あの十字架のできごとでした。

キリストに聴き従うとは、具体的にどのようなこと?
第三に、では、そのキリストに聴き従うとは、具体的にどのようなことなのでしょうか。イエス様の羊とされ、イエス様の御声に聴き従う、それは、キリスト者の自由に生きる歩みです。日ごとに、あのキリストとともに古き人に死に、新しく生まれ変わらせていただいた洗礼に立ち返って、新しい人として愛と奉仕に生きる。それが、わたしたちの信仰の歩みです。ルターも、ボンヘッファーも、みことばを通し、礼拝を通し、生けるキリストとお会いし、生けるキリストに従う信仰生活に歩みました。わたしたちも、そのことが求められているのです。

(前川隆一牧師)