心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 ヨハネ14章1節
 動揺する弟子たちに、「心を騒がせるな」とおっしゃった主のおことばです。

天国への待合室?
「心を騒がせるな」とおっしゃったのに続いて、イエス様は、天国のお話をなさいました(2~3)。わたしたちの信仰の歩み、それは、天国へと名前を呼ばれるのを待つ病院の待合室なのでしょうか。そうではありません。イエス様は、「わたしの父の家には住む所がたくさんある」とおっしゃいました。ヨハネ15章9節で、「とどまっているように」と言われている、この「とどまる」ということばが名詞になったことば、それが、「住む所」ということばであるのです。
天において、わたしたちの場所を備えておられる主は、この地にあっても、わたしたちのいるべき場所を備えて下さっています。それは、主の安息という居場所です。その居場所を土台として、主の愛、主の十字架の愛を活力源として愛し、仕えるようにと、わたしたちは招かれているのです。そして、イエス様は、愛という価値観に照らして、わたしたちのどんな小さなわざをも「大きなわざ」と言って下さるのです。

大胆に絶望せよ
もう一つのこと。わたしたちも、この世にあって、「心騒ぐ」経験をします。そのわたしたちに対しても、イエス様は、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」とおっしゃるのです。では、「心騒ぐ」経験の中で、神を信じ、イエス・キリストを信じるとは、具体的にどのようなことなのでしょうか。ルターが、このヨハネ14章から説教した説教が残っています。その説教に、ルターは、「なぜキリスト者は大胆でいられるのか」という表題をつけました。わたしたちは、自分の能力、知識、力に信頼することにおいて死に、キリストに信頼する。大胆に自分に絶望し、大胆にキリストに信頼するようにと招かれているのです。

(前川隆一牧師)