「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、『まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい』と、刈り取る者に言いつけよう。」 マタイ13章30節
「毒麦のたとえ」、そして、「毒麦のたとえの説明」と表題のつけられているところです。
現実を現実として
今日の箇所を通して、わたしたちが覚えたいこと、その第一は、現実を現実として見るということです。わたしたちは、教会を見て、また、この世界を見て、否定的なことだけを見、悲観的になってしまうということがあります。逆に、よい面ばかりに目を留めて、浮世離れしてしまうということもあり得ます。わたしたちは、現実を現実として、ありのままに見る。ある意味のバランス感覚をもって見るということがたいせつです。
裁いてはならない
第二に、イエス様は、弟子たちに、そして、わたしたちに、裁いてはならないとおっしゃいました。どうして、わたしたちは裁いてはならないのでしょうか。わたしたちは、悪の現実、罪の現実に直面したとき、自分でそれを裁こうとします。けれども、そのとき、わたしたちは、自分を神の立場においてしまっているのです。ヨブの友人たちは、ヨブを非難し、ヨブを責め立てました。それは、自分たちが神の立場に身を置いて、ヨブを裁くことでした。ダビデは、ナタンの話を聞いたとき、「そんなことをした男は死罪だ」と裁きの宣告を下します。けれども、それは、自分を神の立場に身を置くことでした。その裁きは、返す刀で、自分の下に下って来ることになったのでした。
神に裁きを委ねる
イエス様は、裁いてはならないとおっしゃいました。そして、裁きを神に委ねるようにとおっしゃいました。このことが、今日心に留めたい第三のことがらです。イエス様は、裁いてはならないとおっしゃいました。そして、裁きを神に委ねるようにとおっしゃいました。そしてさらに、わたしたちは、お互いにお互いをとりなすように招かれているのです。
(前川隆一牧師)