トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。     ヨハネ20章28節

 今日の聖書は、主の復活を信じることのできないトマスのためにと思えるほどに、一週間後の日曜日、復活の主がそのお姿を現わされたできごとです。

平安を与えるお方

 復活の主がそのお姿を現わされたとき、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃいました(26)。復活の主は、第一に、心の平和、平安を与えて下さるお方です。主が与えて下さる平安、それは、罪のゆるしということと深く関わっています。復活された主の手には釘跡が、わき腹には槍の跡が刻まれていました。また、主が与えて下さる平安、それは、主が復活し、目には見えませんが、聖霊を通していつもいっしょにいて下さるということと深く関わっています。

知っていて下さるお方

 復活された主とお会いしたトマスがいちばん驚いたことは、主が、自分が言ったことをすべてご存知であるということでした(27)。同じように、復活の主は、わたしたちのことをも知っていて下さいます。復活の主は、第二に、わたしたちのことを知っていて下さるお方です。主がわたしたちのことを何もかも知っていて下さるというとき、わたしたちはどんな反応をするでしょうか。もし主が、わたしたちに罰を与えようと待ち構えておられるお方であるとすれば、こんな恐ろしいことはありません。しかし、そうではなく、主はわたしたちに恵みを与えようと待ち構えておられるお方なのです。

いのちを与えるお方

 今日の箇所の少し前の22節には、「彼らに息を吹きかけて言われた」とあります。これは、創世記2章7節のみことばと対応しています。復活の主は、第三に、いのちを与えて下さるお方です。今日の箇所の25節には、「ほかの弟子たちが、『わたしたちは主を見た』と言うと」とあります。この「言う」ということばには、「言い続ける」という意味のことばが使われています。「主は復活された」「主こそ救い主」と言い続ける者、言わずにおれない者と、主はわたしたちをして下さるのです。

 「平安を与えて下さるお方」「知っていて下さるお方」「いのちを与えて下さるお方」、このお方を主とし、このお方とともに歩む一週間と主に導いていただきましょう。                                             (前川隆一牧師)